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小泉定弘先生と私の関係について、よく聞かれる。
私は先生のことを勝手に「師匠」と呼んでいるが、カメラや写真の技術を教わったという意味での師匠ではない。荒川区を長年撮り続けてこられた写真家として、その歩みや姿勢に連なるという意味での、いわば「系譜の師匠」だと思っている。ちなみに、先生からは「師匠」はやめてほしいと言われたので、外向けには「氏」、先生を呼ぶ時は「先生」、私の心の中では「師匠」と使い分けている。 実際、先生からカメラや写真の技術を教わったことはない。それどころか、いまだに機材や撮影技法について語り合うどころか、あのカメラはいい、この写真はいい、という話をしたことは一度もない。唯一、「互いにLEICA使いですね」と一言、たぶんこれがカメラ・写真に直接かかわり交わした言葉だと記憶している。 いつも話すのは、もっと内面的なことだ。 何を思って被写体に向き合うのか。 何を残そうとしてシャッターを切るのか。 写真を撮るという行為に、どんな思想を込めるのか。 そうした、写真の手前にあるもの、あるいは写真の奥にあるものについて話すことが多い。 先生に初めてお話させていただいたのは、私が「荒川フォト」という活動を思い立ってからだった。私のほうから先生にアプローチした。私は10年ほど前に荒川区へ戻ってきて以来、小泉先生が長年この街を撮り続けてこられたことは存じ上げていた。また写真展などでお見受けして軽くご挨拶程度させていただくことはあった。 ただ、その頃の私にとって先生は、尊敬する写真家ではあっても、自分とは直接ご縁のない方だと思っていた。 ところが「荒川フォト」を始めようと考えた時、その存在が急に自分の中で大きなものになった。 考えてみれば、「荒川フォト」という活動そのものが、小泉先生が長年続けてこられた仕事を知らなければ、私の中から生まれてこなかったのではないかと思う。 いつか一度、お会いしてじっくりお話をさせていただきたい。 そう思っていたところ、偶然にも妻が先生とつながっていることを知った。最初にその話を聞いた時は、本当に驚いた。同時に、不思議なご縁を感じた。 その後も、こちらが少し迷っていたり、考え込んでいたりする時に、まるでそれを察したかのように先生から電話をいただくことが何度かあった。その声を聞き、話をしているうちに気持ちが落ち着いたことも一度や二度ではない。 やはり、不思議なご縁なのだと思う。 今は週に一、二度ほど、「荒川フォト」の活動報告や、荒川区を撮影していて感じたこと、考えたことを手紙にしたため、数枚の写真を添えて先生のご自宅のポストに入れている。 すると、必ず翌日か翌々日には先生から電話をいただく。逆にお話をしたい時には手紙を書く。電話をしてもほとんどお出にならないから。 他愛もない話から始まり、荒川区の昔の話、写真についての考え方、そして「荒川フォト」の取り組みについてまで、気がつけば一時間ほど、あれやこれやと話している。 そんな関係である。 ちなみに、最後に妻に電話を変わることもあるのだが、漏れ聞こえてくる声は私と話している時より楽しそうだし、なぜか滑舌もいい。 小泉先生は、街を記録してきた。そして、その街の中に生きる人を記録してきた。 私は、人を記録していく。そして、その人の背後にある街を記録していく。 先生は街から人を見つめ、私は人から街を見つめているのかもしれない。 被写体の捉え方も、写真へのアプローチも違う。けれど、最後に残したいものは、おそらく同じだ。 それは、「荒川の今」。 今ここにある街の姿と、ここで生きる人々の姿を、写真として未来へ残していくこと。 小泉先生と私をつないでいるのは、技術でも流派でもない。 荒川という街を撮り続け、その時代の空気を残していこうとする思いなのだと思っている。 そういう関係です。
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荒川フォトについて「荒川フォト」は、荒川区に暮らす人々の表情や営み、文化、産業、地域活動、移り変わる街並みを写真で記録し、未来へ残す非営利の地域写真アーカイブプロジェクトです。 ARCHIVE
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